備中高松城 | |
所在地 | 岡山県岡山市北区高松 |
形 式 | 平城 |
築城年代 | 永禄年間末期(1570年頃) |
築城者 | 石川久武 |
遺 構 | 曲輪、堀、水攻め築堤跡 |
豆知識 | 広島城址の北東、安佐郡可部町の北側にそびえる海抜333mの高松山に、毛利氏の将。毛利氏に属していた備中松山城主・三村氏の重臣、石川久武が、備前の宇喜多直家に備え築城した「境目七城」の1つ。天正3年(1575)、三村氏滅亡後、石川氏も滅び、毛利氏に属した清水宗治が城主となった。天正10年(1582)、羽柴秀吉による水攻めが行われ、羽柴・毛利の和議条件として宗治は自刃した。その後、高松城には岡山城主・宇喜多秀家が領し、花房正成が入城した。関ヶ原合戦後、徳川家康の旗本花房職之が居城したが、後に高松城は廃され、他の場所に陣屋が置かれた。 |