し の や ま
篠山城
篠山城 | |
所在地 | 兵庫県篠山市北新町 |
形 式 | 平城 |
築城年代 | 慶長13年(1608年) |
築城者 | 松平康重 |
遺 構 | 復元御殿、曲輪、石垣、堀、馬出 |
豆知識 | 天下普請の城として、征夷大将軍となった徳川家康が大坂城の秀頼の存在を警戒する、慶長14年(1609)、浅野幸長・蜂須賀至鎮・加藤嘉明・ 福島正則ら豊臣恩顧の大名を動員して新たに篠山城を築いたのです。天下普請の城として、征夷大将軍となった徳川家康が、近畿・中国・四国の十五ヶ国、二十大名に夫役を命じた。普請奉行には池田輝政、縄張り奉行には藤堂高虎を任命し、京都から山陰、山陽へ通じる要衝の地を守る為、城主には家康の庶子である、松平康重となる。この建物は慶長十四年(1609)の徳川幕府の天下普請による篠山城築城時に、京都二条城の御殿を参考にして建てられたと伝えられ、大きさは東西二十八メートル、南北二十六メートルの篠山城最大の規模となっていました。内部には上段の間、孔雀の間などの多くの部屋があり、障壁画で飾られていたと考えられます。念願の復元工事が進められ篠山城大書院が2000年4月1日完成して公開が始まった。 |